little prince
『星の王子さま』
というわけで、いつか潰えた『星の王子さま』ノシロ訳の野望を再燃してみたいと思い至った。その再燃のきっかけはこれ。
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— 東京外国語大学(TUFS) (@TUFS_PR) 2015, 11月 12
『星の王子さま』は世界中の言語に翻訳されている。エスペラント版もある。というそれだけの動機である。
再燃と言ったが、これは以前にも同じようなことを考えた経緯があることを意味する。
「XAO DOMINEITAABATA」2006/6/26
おお、語彙がノシロ友好単語というのに歴史を感じる。さてこの記事の次の記事を見るとさっそく断念 (STOO) している。早いな。理由は語彙の少なさであると暗に述べている。確かに当時の友好単語、まあまあの量だったにしても翻訳文学には不自由な数だった。現在の水準ではなかった。これはわかる。
が、そういう語彙の少なさと意味論の難しさという理由を盾に、述べていない面倒な事情が当時あった。著作権云々である。『星の王子さま』翻訳に当たって、なんやよくわからんけども著作権の問題にぶつかる。そういうことを、2chだか人工言語掲示板だかで指摘されて、というか非難されて、やになってやめたのではなかっただろうか。
『星の王子さま』原作者の死後何年とか経ったとかで、原作の著作権は切れた、というようなニュースはそのあとぐらいだったろうか。その前後くらいだったかと思う。日本でも有名な内藤訳以外の版が出始めた。だから日本語版ではなく原作の翻訳であれば問題ないのではないか、という議論もあった。
世界の翻訳版も必ずしも原作を訳したものとは限らない。この物語世界を世界に知らしめるという夢ある目的のためなら、多少のバイヤス入り媒介言語入りの翻訳版となってしまったとしても仕方ないと思う。また、辞書を引き引きフランス語から訳すことくらいはできるかもしれないが、フランス語の細かなニュアンスまで習熟しているわけじゃない以上、日本語版から翻訳したとしてもそんなに内実は変わらないと考える。
以上が日本語版を訳すことにした言い訳だが、やはりノシロの理念を先に考えるならばフランス語版を訳すのが順当であろうと思う。やっとその境地に帰結した。
著作権の問題も、フツウには、商用でなく大きな影響力を持つわけでないブログ上で紹介する分には、これが訴えの対象となるとは考えられない。
それでももちろん原文を全文掲載してしまえば、訴えられるかどうかはさておき権利上確かに問題がある。だから全文掲載をしなければよいのだ。入手しやすいものであるから、読者は原作と対照しながら読んでもらえばよい。必要に応じて原文を掲載するにしても、これは引用にあたる。権利の侵害にはあたらない。
以下、上記の記事でつまり10年も前に考えた「註」につっこみをいれつつ、再度今回の翻訳の方針を考える。この「註」というのは、翻訳において困ったらこのガイドラインに従うというような、一種の指針のつもりだったらしい。
***
《翻訳文学に関する註》
・別に私は文学を心得ているわけじゃないので、
基本逐語訳に近くなります。
でもできれば、文学的な完成度も高めたい。
→そう、逐語訳こそが求められると今は考える。むろん語彙のレベルでは、細かなニュアンスなどについてこの逐語訳の原則ではカバーしきれない部分がある。しかしノシロ語の語彙・語意の研究はそういうところまで至っていない。つまりそういう細かなニュアンスの違いまで定義されていない。これを逆手にとり、ある程度自由に解釈して用いる(この制約の範囲内で)。
・人工言語(第二言語)運用という性格上、なるべく
複雑な複文構造は避けたほうが無難じゃないかと
感じています。従って原文を適宜短く切って訳す
ことも。
→この原則が明文化される前の考え方。客観的な文章ではこうすべきだが、文学はこの限りではないと定めた。ただし、程度にもよる。
・全体を読まずに、前のページから順番に訳していくことも。
矛盾が生じちゃったら後から訂正することもあります。
→「『星の王子さま』が好きだから訳す」的なことを他の記事で言っているが、これつまり読んでないってことじゃん。当時は、実は全体読んでたわけじゃないのに雰囲気でこの本を選んだのだった。
・文化的側面について、やはり「世界中で読まれる」ことを
想定したらなるべく普遍的にするべきと考えます。
気づいたところはそのように変えることも
あるかもしれませんが、日本語的感覚とかが
知らず知らず現れてしまうことが多くなろうと思われます。
→無論、わかりやすくというのは心がけなければならないが、とにかく文学の翻訳ではそういう作業をなるべく捨象したいと考える。
《「星の王子様」に関する註》
・基本的に、岩波書店から出てる日本語版を参考とします。
手頃、手軽に参照できるので。本来ならば原文を使用するのが
筋でしょうが…
もちろん原文ばかりじゃなく他の言語版も参照するべきとは
思うのですが、特に断りが無ければ日本語版です。
原文・他の言語版からの意見があればコメントお願いします!
→当時他の言語版を読む気は全く無かったのです。
・この世界観を、うまいこと訳せる自身がありません。
堅い文調になってしまうやもしれません。
→ノシロ文もほとんど存在しないのに、その文体が硬いのかやわらかいかなんて判別できません。
《ノシロに関する註》
・前述のとおり、とりあえず1類を使います。
→日本語版をもとにするならそうなるでしょうね。フランス語版を用いるならば2類を用いるべきでしょう。
・単語は「ノシロ練習帳」を使用し、なるべく友好単語で済ませる
ように工夫します。場合によって、どうしても他の表現が無理なら
勝手に「国際標準単語」を作って応戦します。
→懐かしいですね。「ノシロ練習帳」も「友好単語」も過去のものです。「国際標準単語」もまだ実装されていませんでした。ありませんでした。
・文法は公式ページに従い、説明不足の点に関しては
私の解釈を示します。同時に問題点やなんかの指摘もする。
これは今もやっていることです。
この企画は、PLAnGIにおいて他のものと並行してゆっくり進めていきます。